文章中の「愛媛県北条市」→平成17年1月1日の合併に伴い「愛媛県松山市」となりました。

-- 御供獅子とは --
北条市八反地には県社である「国津比古命神社」があり、その昔御神体が大洪水で流出した際、猪木地区の人々によって見つけ出され大浜に上げられたと言う伝説があります。御神体は「猪木大魔」・「御供獅子」を従えて国津宮に帰ったとされ、その御供獅子が八反地の獅子舞として伝承されていると言われます。時代は定かではありませんが、当地区の最も古い獅子頭は神社に奉納されており、その由緒のほどが伺えます。また、「太夫」の舞で使われる小面はかなり古く値打ちあるものとされ、舞としての無形の文化価値同様、道具類にも有形の価値があると思われます。


「平成13年までの獅子頭」

-- 保存会発足 -- 
昭和2年からの書類<役割表綴り>によると、昭和38年に他地区に先駆け八反地獅子保存会を発足(初代会長/立町泰守)させ、現私達は、地域における伝承保存の意識も高いと自信を持っています。
昭和44年9月26日(金)13:05〜13:20に庭獅子として、NHK(えひめ人と話題)で放送されています。済みきった秋空にひびく、笛や太鼓の音に合わせ、舞くるう獅子の姿は、大人達の郷愁を呼び、子供達の夢をはぐくむ。愛媛県下には、数多くの獅子舞がありますが、私たちの獅子舞は、数百年余り前に国津比古命神社の「御供獅子」として初め現在では10月の秋祭りには欠かせない存在になっています。
会員数・50名  
小 役・ 3名<小学生>・きつね・狩人・太鼓・太夫・三番双・ぬたば・山探し・稲巻・爺で、構成されています。

保存会の苦労
・若い人達の流出。後継者を見つけるのに一苦労、特に少子化による子役確保。
・全員揃う練習
獅子の場合 最初は後足から入り、前足が出来るにはだいたい3年はかかります。
太鼓・笛の場合 一見やさしそうにみえますが、またむずかしい。獅子の足に合わせながら獅子を、太鼓に合わせさせるように叩き、笛は吹く。


八反地獅子保存会「御供獅子」

 

八反地の獅子舞の説明
太夫 神宮を表している。これは八反地の獅子がお供獅子であることを証拠づける為のもの、舞の形は、お払いを表現していると考えます。<どこかの神樂から持って来たのか、お宮のお太夫さんから教わったのかは?>
三番叟 一番始めに演じるめでたい獅子。獅子を演じるグループの良い所だけを集めて作りあげているのでまず美しく見えることえを一番に考えること。また、三ツ切・四ツ切・八ツ切と、いうようにリズム感を大切にすること。獅子頭をつかうのも、足の運びもきれいに使い美しく見せ、リズムを大切に。狩人もリズム感よく現れ、獅子も一寸起きて眠る。(総てに出る狩人は、獅子を殺さずなだめて連れて帰る)
山探し 山で、食べ物を探す行動を表している。山いもを掘る、竹の子を掘る だけではなく、自分はどれだけ強いかを仲間や牝(めす)にアピールするための獅子。荒々しく、強く見えるように獅子頭をつかうこと。狩人は勇ましく登場し、獅子も最後まで荒々しくいたところを見せる。
ぬたば 鹿の牡(めす)が発情期に料理のぬたのようなドロドロの池を作り自分の体臭をつけた泥を体にぬりつけて木や石や草などに塗りつけてまわり縄張りを作って自分がどれだけ魅力のある牡であるかを表現するように獅子頭をつかうこと。(鹿と同じように猪も同じような行動をするかどうか?)。狩人は一寸優雅に登場する。
稲まき まず、親爺が出てきて日より(天候)を見ながら、田んぼの稲穂の出来ぐあいを見て回っている。今年も豊作だなあと思いながら回っていると稲が荒らされているので倒れた稲を起こしている時、獅子が目立たないように頭を下げて現れる。腹のすいた獅子はまず、稲穂を口にくわえて食べる。少し腹がふとるとあぞながら食べ、食後の運動をして眠ってしまう。これを見ていた親爺は獅子がよく眠っていることを確かめ縄で生け捕りにしようとして失敗する。狩人も急いで登場する。親爺はうれしいような、じゃまされたような気持ちで退場する。
親爺と
キツネ
まず、親爺が出て田んぼが、キツネに荒らされていると確認して、天候や風向きや仕掛けをかける所を確認するために田んぼの周りを見て回り仕掛けをかけるが、キツネはかからず、親爺にこっち、こっちとさそうが、親爺はよう捕まえず、帰る。そこで、キツネはこれ見たかと、いろいろ見事な舞(芸)をして帰って行く。